小西酒造株式会社

小西酒造
について

清酒のはじまりを知る伊丹。
清酒の歴史を醸す白雪。

伊丹で起きた酒のイノベーション

酒といえば濁り酒(どぶろく)しかなかった時代、
美しく澄んだ「清酒」がはじめて造られた地、伊丹。
麹米と掛米の両方に惜しみなく精白米を用いることで
生まれるその酒は「伊丹諸白」と呼ばれ、瞬く間に評判に。
酒造りの産業革命ともいわれる画期的な進化を経て、
酒処としての伊丹の名は広く知れ渡ることになります。

生まれるべくして
生まれてきた、いい酒

西国街道と有馬道の交差点に位置し、人・物・金が集まりやすい交通の要衝だった伊丹。
内陸性の気候で雨が少なく、比較的乾燥していることや気温が低めであることから、酒造りには絶好の土地でした。
また、酒造りが盛んになったことにより、原料米を大量に手に入れることもできたのです。
さらに、不純物が少ない良質な伏流水を得られるなど、
さまざまな条件に恵まれ、
伊丹の酒造りはどんどん盛んになっていきました。

文人も酔いしれる美酒

近衞家の庇護のもと酒造業で栄えた伊丹は、民間社会に力があり、町人による自治が早くから行われていた、全国にも類を見ない先進都市でした。
そして、伊丹の酒を好む多くの文人墨客が訪れたことで、町人たちも諸芸の魅力にふれ、俳諧、和歌、絵画、書道など多彩な文化が花開きました。
当時の名残として、小西酒造には、思想家として名高い頼山陽が揮毫した「白雪」の看板が遺され、また白雪を称えて書き上げた詩の一節は、いまもボトルのラベルに見ることができます。

清酒のストーリーが
『日本遺産』に

こうして、伊丹を起点に江戸をも巻き込んだ清酒の一大ムーブメント。
その壮大なスケールの物語は、2020 年、『「伊丹諸白」と「灘の生一本」下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷』として令和 2年度の『日本遺産』に登録されました。
これまでに、日本の文化・伝統を語る多くのストーリーが日本遺産として認定されていますが、日本酒をテーマにしたものは初。
構成文化財の一覧には「小西新右衛門氏文書」「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」も選出。
小西酒造としても誇るべき栄誉となりました。

清酒発祥の地から世界へ

酒造りが縁となり結ばれた、ベルギー・ハッセルト市と伊丹市の姉妹都市提携。
日本と異なる、ベルギーの豊かなビール醸造文化に着目し、
日本でさきがけ、1988年ベルギービールの輸入事業を開始、今日のベルギービール人気の礎を築きました。
ベルギービールウィークエンドは、2010年9月10日に日本初開催を果たし、13年間で135万人以上が来場、現在では日本を代表するアウトドアイベントに。
また、日本酒も、海外のコンクールで受賞を重ね、欧州、北米、アジアへの輸出を拡大。
伊丹から、お酒を通じた文化交流を世界に広げています。

小西酒造の歴史と白雪のあゆみ since 1550

小西酒造の歴史と白雪のあゆみ
since 1550

小西酒造の歴史と白雪のあゆみ
その時代にあった、お酒造りを。
この国の食文化、醸造文化とともに進みつづける、
小西酒造と日本最古の清酒銘柄「白雪」です。

1550年(天文19年)
小西家が酒造りをはじめる 小西家の初代が、薬種業のかたわら酒造りを開始
1600年(慶長5年)
清酒の誕生 伊丹の鴻池村において、従来の濁り酒から清酒(諸白澄酒=もろはくすみざけ)を造ることに成功
1635年(寛永12年)
「白雪」と名づける 小西家の二代目・宗宅が馬に酒樽を積んで江戸へ向かう途中富士山を仰ぎ、その気高さに感動して「白雪」と名づけたと伝えられている
(「白雪」は現存するもっとも古い銘柄)
1694年(元禄7年)
生産者としてはじめて酒問屋を営む 酒を造るだけでなく、他家で作られた酒の卸売りもする「酒問屋」を江戸茅場町で開始
1697年(元禄10年)
伊丹が文化人の町として発展 井原西鶴、近松門左衛門らが足繁く訪れるようになる
1730年(享保15年)
「樽廻船」でスピードアップ 酒樽だけを専門に運ぶ快速「樽廻船」が登場し、江戸まで4〜5日で運べるように
1821年(文政4年)
白雪を愛した頼山陽 小西家の九代目・系巴と親交のあった、学者で詩人の頼山陽。白雪のメインラベルに書かれている
「千秋勧酌(せんしゅうかんしゃく。「秋」は鏡文字)芙蓉霞(ふようかすみ)」は、白雪を称えた頼山陽の詩の一節をとったもの
1839年(明治26年)
シカゴ万国博覧会に出品 白雪を出品し金牌を受賞
1916年(大正5年)
若山牧水の白雪讃歌 酒と旅の人生を送ったといわれる歌人、若山牧水。およそ9000首の歌のうち
酒に関するものが300首あるといわれ、さらに白雪にまつわる歌が7首詠まれている
1925年(大正14年)
樽詰全盛からビン詰商品へ移行しはじめた大正時代、新聞、月刊誌に広告を開始
この時のキャッチフレーズは「天下之銘酒白雪」
1933年(昭和8年)
小西家家業のうち伊丹酒造部を独立させ「小西酒造株式会社」を設立
1939年(昭和14年)
広告展開を開始 「山は富士、酒は白雪」のキャッチフレーズで広告を展開しはじめる
1946年(昭和21年)
有限会社富士西商店を設立(現・白雪食品株式会社)し奈良漬の製造を開始
1963年(昭和38年)
業界初の四季醸造工場 四季を通じて醸造できる工場、富士山二号蔵が完成
1988年(昭和63年)
ベルギービールの輸入販売をはじめる 伊丹市とベルギーのハッセルト市が姉妹都市となったことをきっかけに
ベルギービールの輸入を開始。その後、イギリス、ドイツ、オーストラリアのビールを取扱う
1995年(平成7年)
「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」がオープン お酒文化を、遊ぶ、食べる、楽しむ、学ぶ施設としてミュージアム・レストラン・ショップを設立
ビールの製造をはじめる
1997年(平成9年)
阪神淡路大震災復興イベント「白雪蔵まつり」がスタート
2012年(平成24年)
新しくコーポレートロゴ、スローガン「誰も歩いていない道を行く。」を展開しはじめる
2017年(平成29年)
震災復興イベントとしてスタートした「白雪 蔵まつり」が20回を迎える
2020年(令和2年)
「伊丹諸白」と「灘の生一本」下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷が日本遺産に
創業470年を迎える